順風満帆に見えた光文社だが、1970年に大きな事件が起こる。
社長に就任していた神吉の経営手法に労働組合が反旗を翻し、労働争議が勃発したのだ。
神吉は後に退陣したが、争議は収まらず、沈静化したのは1977年のことであった。
この泥沼争議を嫌い、多くの人材が光文社を去ることになる。
その中には、祥伝社やごま書房の設立に関わった者も含まれている。
昔はずいぶん労働者が経営陣と戦っていたことがあったんですね。
順風満帆に見えた光文社だが、1970年に大きな事件が起こる。
社長に就任していた神吉の経営手法に労働組合が反旗を翻し、労働争議が勃発したのだ。
神吉は後に退陣したが、争議は収まらず、沈静化したのは1977年のことであった。
この泥沼争議を嫌い、多くの人材が光文社を去ることになる。
その中には、祥伝社やごま書房の設立に関わった者も含まれている。
昔はずいぶん労働者が経営陣と戦っていたことがあったんですね。
光文社が出版界の第一線に躍り出ることが出来たのは、その講談社から一足早く光文社に移っていた神吉晴夫の手によってである。神吉は「創作出版論」という独特の編集理論をもっていた。
それによって、次々とベストセラーが出されていく。1951年「少年期」(波多野勤子)がその嚆矢であった。
そして1954年、「カッパ・ブックス」の創刊。この新書シリーズは、その後の出版界を長く席巻する。
カッパ・ブックスというと『頭の体操』のイメージが。
脳トレのはしりって感じですよね。
1945年、講談社は激震に見舞われていた。
太平洋戦争が終わり、出版業界内部は、戦争協力者への責任追及の声が激しくあがっていた。
戦前から活発な活動をしていた講談社は、その最大の標的となったのである。
当時の経営陣は、最悪の事態に備え、別働隊を組織した。それが光文社である。
1945年11月のことであった。
しかし、責任追及の声は次第に弱まり、講談社はピンチを乗り切った。
そのため光文社は、いわば梯子を外された状態になってしまったのである。
戦争直後って大変だったんですねぇ・・・

株式会社光文社(こうぶんしゃ)は、日本の出版社。1945年10月1日創業。音羽グループに属する。
数々のベストセラーを生み出したカッパ・ブックスの成功は、新書判ブームのきっかけとなった。
『少年』により、戦後月刊少年漫画誌の黄金時代を作った。
『JJ』の創刊が、後年の女子大生向け月刊ファッション雑誌の隆盛に与えた影響は計り知れない。現在は『JJ』のほか、24歳~28歳前後のOLが主たる読者層の『CLASSY.』や、より若い世代(女子高生などハイティーン)向けの『bis』といった女性誌が人気を博す。
光文社というとどうしてもJJとかのイメージ強いです。