歴史の転換期には興味ある人物が多数輩出します。
明治維新前後も同様で、そのなかから吉田松陰の忠誠(ロイヤリティー)を振り返ってみましょう。
吉田松陰は天保元年(1830年)長門国萩に生まれ、6歳の折、長州藩兵学師範吉田家に養子として入り兵学修業を始めます。
18歳で山鹿流軍学の免許皆伝を受け、19歳で兵学師範として一人立ちします。
嘉永7年(1853年)6月、たまたま江戸滞在中アメリカのペリーが艦隊を率いて浦賀を訪れ幕府に通商和親条約を要求。
幕府の態度が要領を得ないので翌年再び来航することを約し帰国しました。
吉田松陰は江戸を出発して浦賀に向かいペリーの軍艦の偉容に驚くだけでなく、外国情勢の一部を聞くに及んで、みずから外国の文物に興味を持ちました。
その後、松陰が出した結論は、まず外国の事情に精通すること、そのためには脱藩の罪はもちろん幕府の粗法を破っても海外へ渡航することでした。